天井クレーンの過去・現在・未来が分かる!【天井クレーン・クロニクル】

天井クレーンの過去・現在・未来が分かる!【天井クレーン・クロニクル】

さまざまな場面で働く人たちを手助けしている天井クレーンですが、果たしていつ頃から使われ始め、どんな過程で進化を遂げてきた技術なのでしょうか。また、天井クレーンを手がける会社は日本にどれくらい存在しているのでしょうか。業界で40年以上の経験を積んだ大ベテラン、伊藤さんに天井クレーンの過去、現在、未来を聞きました。

伊藤元一|メンテナンス部 部長
愛和産業に入社したのは1979年(昭和54年)。以来40年以上を天井クレーン業界で過ごし、技術の進化と業界の変遷を見届けてきた。現在は大ベテランとして、日々、後進の育成にあたっている。

【業界知識編】「天井クレーン業界」ってあるの?どんな会社がどれくらい存在しているの?

――天井クレーンの事業を行なっている会社って、日本にどれくらいあるんでしょうか?

伊藤 正直に言いますが、私にも正確には分かりません。ただ経験上、同業の会社はたくさん知っていますし、また、天井クレーンがこれだけ日本に溢れている訳ですから、私が知っている数よりも更にたくさんの会社があるはずです。なので、「とにかくたくさんある」という答えになってしまいます(笑)。

――そうですよね(笑)。同業他社も、愛和産業と全く同じサービスを展開しているんでしょうか。

伊藤 そこは、会社によって違いますね。当社のように、設計・製造から設置後のメンテナンスまで、一社で一気通貫のサービスを展開している会社は少ないかも知れないです。一番多いのは、天井クレーンのメンテナンスだけを専門にしている会社じゃないでしょうか。

――同じ業界の会社でも、いろんな業態があるということですね。その辺り、業態が枝分かれしていったのはどんな背景があるのでしょう。

伊藤 ちょっと、昔話になっちゃいますが。

――好きです、昔話。

伊藤 もともと、日本に天井クレーンがたくさん導入されるようになったのは、やはり戦後なんです。戦争が終わって、たくさんの工場ができるようになった。それと呼応して、工場に不可欠な設備として天井クレーンの需要が高まったんです。こうした市場の動きにチャンスを感じて、天井クレーンを扱う会社が増えていったのだと思います。私より世代が上の方たちの話なので、全てを知っている訳ではないですが。

――戦後に生まれた会社が数としては一番多くて、それらが業界を形成していったイメージでしょうか。

伊藤 そうだと思います。ただその中でも、天井クレーンという設備だけに特化していった会社と、天井クレーンも含めた工場の設備全体を設計・製造する会社に分化していった感覚があります。

なので、現在の天井クレーン業界をまとめるとすると…。一つは、私たちのように天井クレーンの設計・製造からメンテナンスまでを行う中規模の会社、メンテナンス専業の会社、個人事業や数名の小規模で、それぞれ、製造・修理などを行う会社、これらの会社群が「天井クレーン専業」の会社と言えます。

その一方でもう一つは、工場のプラント設備をまるごとつくってしまうようなビッグメーカーです。工場の設備の中に天井クレーンも含まれるので、仕事の一環として天井クレーンも手がけている会社ですね。すごく大まかに言えば、こんな業界構造になっていると思います。

【技術編】天井クレーンってどんな進化を辿ってきたんですか。

――伊藤さんは天井クレーンに関わって40年以上になりますね。その中で、天井クレーンもどんどん進化を遂げてきたのでしょうか。

伊藤 私がこの仕事を始めたのが1979年(昭和54年)ですから、天井クレーンの技術も大きく変わったと感じています。

――どんな技術の進化があったんですか?

伊藤 私がこの業界に入った頃は、一速の天井クレーンしかありませんでした。一速とは、つまり巻き上げるスピードが変化しないクレーンです。スイッチを入れると急加速し、スイッチを切ると急停止をする。スピードが一速しかないので、ガクンガクンとした挙動をします。

――なんだか少し、危なそうですね。

伊藤 当時はそれが普通でしたからね。そこから、二速の天井クレーンが登場しました。これは大きな変化でしたね。モーターを2個搭載しているので、ざっくり言えば、遅い・速いの2種類のスピードを2個のモーターで切り替えられるタイプです。画期的でしたが、モーターが2個ついているために複雑な構造になっていて、技術を勉強するのが大変でした。

――技術が進化するたびに、新しい知識が必要になる訳ですね。

伊藤 その繰り返しですね。二速になったのも大きな変化でしたが、さらにインバータ装置搭載タイプが出てきたのは革命的でした。インバータ装置とは、電圧や周波数を変えることで、モーターの回転速度を自由に調整できる装置のことです。今の天井クレーンはスピードの上げ下げが自由に操作できるタイプが主流となっており、安全性が大きく向上しています。それは、インバータ装置が登場したおかげなんです。

――進化についていくのが大変そうですが、そもそも、天井クレーンっていつ頃から存在している設備なのでしょう。

伊藤 私がメンテナンスで経験した中では「大正15年製」というものが一番古かったですね。なので、戦前から普通に使われていたことは確かです。

――大正15年!?その天井クレーンはまだ現役だったんですか?

伊藤 修理したら、ちゃんと動きました(笑)。自慢になるかもしれないですが、これだけ旧式の設備を修理できる会社ってあまりないと思います。天井クレーンの進化を見届けてきた私たちだからこそ、できることだと自負しています。

【独自性編】長い歴史の中で培ってきた、愛和産業の独自性って何ですか。

――業界の変化があり、技術の進化もあった。その中で、愛和産業の独自性とは何でしょうか。

伊藤 やはり、設計・製造からメンテナンスまで自社で一気通貫のサービスを提供できることだと思います。最初にお話しした内容と重なるんですが、多くの会社が天井クレーン業界に参入した中で、業態が細分化していきました。ある会社は定期メンテナンスだけを行う会社となり、ある会社は製造だけを請け負う会社となった。その中で、天井クレーンという設備に関するあらゆるサービスを提供できる当社のような会社は、少ないと思います。

――なぜ、愛和産業は一気通貫のサービスを提供する会社であり続けられるのでしょうか。

伊藤 おそらく、要因は2つあると思います。一つ目は、技術者が辞めていかなかったこと。お話しした通り、私は入社して40年以上が経ちますが、私と同時期に入社した仲間たちもまだ、現場でがんばっています。それは何故か?と言われると難しいんですが…。居心地がいいんでしょうね(笑)。

二つ目は技術の継承です。ベテランの技術を新しい世代に伝えていくことが私たちの役割だと思っています。「教える」ということは本当に難しく大変です。私も、うまく技術を伝えられているかどうか、正直なところ自信はありません。ただ、天井クレーンの技術の変遷を身をもって学んできた世代だからこそ、若い世代に伝えていける何かがあるはずだと思っています。

――やはり「人の力」という一点に集約されるのでしょうか。

伊藤 そう思います。これまで、多くの同業他社の廃業も目にしてきましたが、要因は「後継者がいない」という一点につきます。ニーズは継続してあり、人材さえいれば大きく成長できるチャンスがある業界です。次世代をいかに育成していくかが、私たちにとっても大きな課題だと考えています。

【未来編】天井クレーンはこの先、どんな進化をしていくのでしょう。

――ところで、天井クレーンはこの先も、技術的に変化していくのでしょうか。

伊藤 当然、変わっていくでしょうね。近い未来には、ものづくりの現場である工場で、完全無人化や完全自動化に向けた大きな変化があります。それに伴って、工場設備の一部である天井クレーンも変わらざるを得ないと思います。実際に、自動化された天井クレーンも登場し始めています。

――伊藤さんは、どのように変わっていくと思いますか?

伊藤 予測の域を出ませんので、まったくの想像なのですが。一つは、工場設備のメンテナンスに使用する天井クレーンには普遍のニーズがあると思います。技術的にどう進化するかは分からないですが。たとえ工場の無人化・自動化が成し遂げられた未来においても、定期的な設備のメンテナンスは必要です。そのときに、工場の工作機械やベルトコンベアといった設備を持ち上げる天井クレーンは必須であり、必然的に、天井クレーンの定期メンテナンスの需要もあるでしょう。

その一方で、いわゆる生産工程に使用する天井クレーンの需要は減るかも知れません。ものづくりの工程が完全自動化になれば、鉄などの素材を運搬する設備も工程の中に自動機械として組み込まれることが予想されるからです。

――そうした未来が訪れると、愛和産業の業務領域も変わっていく可能性がありますね。

伊藤 今よりも、もっと高度な技術の習得が必要ですね。工場が自動化する流れの中で、例えば工場設備メーカーとパートナーシップが組めれば、搬送設備の開発などにも進出していける可能性があります。ですがそのためには、いわゆる電子制御分野の知識や知見がさらに必要になってくるはずです。

――40年以上やってきても、さらに新しい分野に挑戦していかないといけないんですね。

伊藤 その点はもう、若い世代に任せたいです(笑)。ただそのためにも、自分が持っている経験は、すべて伝えていかなければと思っています。

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